大津地方裁判所 平成3年(ワ)112号 判決 1993年12月20日
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求の趣旨
被告らは、原告に対し、連帯して、一億五八六一万円及びこれに対する昭和六三年三月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、県道を自動車で走行中、県道脇の山の斜面が突然崩落し、多量の土砂や岩石が道路に流出して土砂等が右車に直撃し、運転者及び同乗者の二名が圧死した事故につき、右二名を相続した母親である原告が、県道の設置管理者である被告滋賀県(以下「被告県」という)に対して、国家賠償法第二条第一項に基づき、また、斜面が崩落する前年に右現場を含む付近の落石防護施設の設置工事をした被告鈴鹿建設株式会社(以下「被告会社」という)に対して、不法行為に基づき、それぞれ逸失利益、慰謝料等の損害賠償を求めた事案である。
なお、付帯請求の起算日は、本件事故があつた日である昭和六三年三月三〇日である。
一 争いのない事実及び証拠により容易に認められる事実は、以下のとおりである。
1 原告
末廣寛(以下「寛」という)及び末廣稔(以下「稔」という)は、それぞれ昭和六三年三月三〇日当時三八歳、三五歳の独身男子であり、原告は、右両名を相続した母である。原告の他に、両名を相続した者はいない(争いがない)。
2 本件事故現場
(一) 斜面の崩落があつた現場は、県道である大津信楽線(滋賀県大津市瀬田から滋賀県甲賀郡信楽町に至る幅員約六メートルの主要地方道である)の上田上牧町付近(その位置については、当事者間に争いはない。以下「本件事故現場」という)であり、その南側には大戸川が流れ、北側は、赤松や雑木等が繁茂する約五〇メートルの斜面であつた(甲第一〇号証、検甲第一号証の一ないし七、九、一〇、一二、一九)。
(二) 右斜面の地質は、花崗岩及びそれが風化した残積土であるマサ土から構成されており、全体的にみれば、地表(斜面)に近い部位は風化が進み、深くなるほど風化が進んでいないという状態であつた。花崗岩は、亀裂が多く、それらは縦方向と流れ盤の方向に顕著に発達していたが、その亀裂の方向も場所により変化していた。マサ土は風化が進んだ状態で花崗岩からなる基盤を覆うように分布していたが、風化の状態は、きわめて不均一で、マサ土の厚さも場所によつて大きく異なり、花崗岩とマサ土は複雑な様相を呈して存在していた。特にマサ土中にも未風化の花崗岩がコアーロツク(核岩)として介在しており、露頭のみからは硬質の岩盤と判定されやすいものであつた。また、花崗岩盤中の亀裂の表面の一部がマサ土化しており、結果として、亀裂の中にマサ土が入り込んだ状態となつている部分もあつた(甲第九号証、第一〇号証、乙第一号証、第三号証、証人河野伊一郎の証言)。
(三) 崩壊以前の右斜面は、下部の切り取り法面(斜面高さ約八ないし一〇メートル)と上部の自然斜面に分かれていた。右斜面は、位置により若干の差はあつたが、下部の切取りで約三分の勾配であり、風化していない花崗岩の基盤であつた。上部の自然斜面は、マサ土の中に風化していない花崗岩の岩石が点在しているという状態で、その勾配は一ないし一・二割であつた(甲第一〇号証、乙第一号証、第三号証、証人河野伊一郎の証言)。
3 落石防護工事
(一) 被告県は、落石の危険度、発生頻度、重要度等を総合判断し、本件事故現場付近を災害防除工事の必要箇所に決定し、本件事故現場を含む前記県道大津信楽線の山側に、基底部が一六〇センチメートル、上部が四〇センチメートル、高さ三メートルの台形のコンクリート製防護壁の上に三メートルの高さのH綱に張られた金網の落石防護柵を長さ約三〇メートルにわたつて設置する工事(以下「本件工事」という)をすることとした(乙第五号証、丙第一ないし三号証、被告会社代表者尋問の結果、弁論の全趣旨)。
(二) 被告県は、指名入札を行い、落札した被告会社との間で、昭和六二年九月一〇日、前記落石防護壁の設置する旨の請負契約を締結し、被告会社は、右請負契約に基づき、一〇月九日、本件工事に着手し、同年一二月二四日にはすべての工事を完了した。なお、被告会社は、本件工事に際して、斜面下部を機械を使用して掘削し、五〇ないし一〇〇立方メートルの礫を取り除いたり、斜面に植えていた木を伐採したりしたが、同年一〇月二七日には、右掘削は完了していた(丙第一ないし三号証、被告会社代表者尋問の結果)。
4 本件事故前の気象
本件事故現場付近における昭和六三年三月中の総降雨量は、約一〇〇ミリメートルであり、とくに、同月二五日及び二六日に、約三三ミリメートルの降雨が観測され、同月二九日には、最大瞬間風速が秒速一四メートルの強風が発生していた(乙第一号証、第三号証、証人河野伊一郎の証言)。
5 本件事故
寛及び稔は、昭和六三年三月三〇日午前七時三〇分頃、本件県道を自動車で走行中、本件事故現場の道路脇の山の斜面のうち、上部の自然斜面の花崗岩とマサ土の土塊が崩落し、約九〇ないし一〇〇立方メートルの土砂や岩石が道路に流出(以下「本件崩落」という)して、右両名が乗つていた自動車を直撃したため、同日、両名は死亡した(争いがない)。
二 争点
1 被告県の責任
(一) 原告の主張
(1) 一般に花崗岩の不連続面に沿つて分布するマサ土は、地表面及びそれに近いところでは、日常不断に風雨によつて浸蝕されているため、花崗岩は、しばしば岩盤から浮いたような状態になつており、マサ土が大きくえぐられると、不連続面と不連続面に囲まれた花崗岩の石塊は、特に誘因がなくても岩盤から抜け、転石や落石となつて崩壊するようになる。
そして、転石や落石が発生すると、抜け落ちた岩塊の穴の中に周辺のマサ土が流れ込み、別の岩塊を支えていたマサ土がその支持機能を果たさなくなり、さらに別の岩塊が転石や落石となつて落下し、次々と連鎖反応的に土や岩塊が崩落し、大規模斜面崩壊を引き起こす。
本件事故現場付近一帯の地質は、前記一2のとおりであり、県道大津信楽線には、本件現場を含む付近斜面において、年に四ないし五回の落石があり、本件事故現場の他にも数カ所の落石防護工事がされていたが、本件事故現場の本件工事はその中でも最大規模のものであり、本件事故現場付近が最も大規模な落石の危険が予測されていた場所であつた。そして、右落石状況からすると、本件事故現場は、右連鎖反応的な斜面崩壊の恐れがある斜面であつた。
(2) したがつて、被告県は、県道の道路運行の安全を確保するべき管理責任者として、予想される事故の最大規模のものを想定し、これを防止するため、現場の地形や具体的に落下するおそれのある岩石の状況を事前に調査し、落石の発生形態とその危険度及び落石が発生した場合どのような運動形態で下方に達するのかということを正確に把握しなければならないところ、本件事故現場において採用すべき工事の内容を決定するための調査は一切されていなかつた。
(3) また、一般に落石対策には、斜面上の浮石、転石が落下しないよう安定化させる予防工事と、落下してくる石の直撃から道路等を保護する防護工事とがあり、前者はさらに、<1>落石予備物質(浮石・転石)を事前に除去する工法、<2>浮石、転石の不安定化を抑制する工法、<3>浮石、転石を斜面に固定させる根固め等の安定化工事などの予防工法が考えられ、その中では、<1>が最も確実とされ、工学上、可能な限りこの工法によるべきものとされており、また、後者には、<1>落石防止網、<2>落石防止柵、<3>落石防止擁壁、<4>落石覆工(落石が道路に直接落下することを防ぐために道路上に設けられる構造物で、洞門工とも呼ばれる)、<5>落石防止堤及び溝などがあるが、被告県が本件事故現場付近において採用した工事は、前記一3(一)のとおりのものであり、落石予防工事ではなく、落石防護工事であり、右<2>落石防止柵及び<3>落石防止擁壁を併用したものにすぎなかつた。
(4) しかし、巨大な花崗岩塊が斜面上部をはじめ斜面に露出し、脆弱なマサ土の土中に存在する本件事故現場の斜面においては、前記予防工事<1>ないし<3>及び防護工事の併用、すなわち、本件事故現場の斜面中に存在した落石の危険のあつた浮石や転石を切土または小割りにして除去することによつて、斜面の安定化をはかり、右工事によつて変化した斜面をその後の雨水等によつて浸蝕がすすまぬようにコンクリート吹きつけや枠工を施し、浸透地下水がある場合には水抜穴を設け、さらに落石防護擁壁やネツトを設置するべきであつた。
(5) ところが、被告県は、前記のとおりこれを行わず、しかも、被告県が設置した防護壁の高さは、その基底部から約五〇メートルの高さがある本件事故現場の斜面の高さ、斜面度に比して、低すぎるものであり、また、強度も充分ではなく、さらに、その位置も、斜面と防護壁及び防護柵との距離が接近しすぎており、落下岩や土砂が防護施設と斜面の間の溝に収まることが困難であり、また、多量の土砂や樹木の根等の落下があつた場合には、すぐに溝が埋まつてしまい、防護の用をなさないという工法上の欠陥があつたのであり、被告県に本件県道の管理に瑕疵があつた。
(6) 本件工事は、斜面の裾部を約一五〇立方メートルの切土をしたうえでされているもので、斜面の勾配を大きくし、従前の排水状態をも大きく変化させ、斜面の安定を低下させ、この結果、崩落の危険を発生させたものであるから、被告県に本件県道の管理に瑕疵があつた。
(7) また、被告県は、落石対策として、本件工事を実施した後も、落石防護工の維持点検や工事そのものが斜面に与える影響、変化の状態などについて把握するため、斜面につき、地表水、地下水の流出状況と浸蝕の有無、岩の割れ目の状況、浮石や転石の位置の変動等の変化の有無、斜面の亀裂やはらみ出しの有無などを、工事施設につき、そのものの変化の有無、落石防護工の背後の落石や土砂の体積状況、擁壁の水抜き穴が土砂などによつて詰まらず完全に機能しているか等を点検しなければならないのに、被告県はこれを行つておらず、本件県道の管理に瑕疵があつた。
(8) なお、以上の主張は、本件崩落について、定性的な予見可能性があつたことを前提とするものである。すなわち、いかなる誘因が現実の斜面崩壊の引き金になるのか、いかなる規模の崩壊が何時起こるのかということを事前に定量的に予見することは不可能であつたとしても、斜面崩壊の原因及びその危険性の存在を予見するという意味での定性的な予見はあつたのであり、かつ、これがあれば足りる。
(二) 被告県の主張
本件事故現場は、前記一2のとおり、下部の急斜面は、硬岩状の花崗岩が露出している高さ約八ないし一〇メートルの斜面であり、その上部は、赤松、雑木等の植生により安定化した自然斜面であり、長年月において本件事故のような大規模な崩落もなく安定していた。
右のような自然斜面においては、人工斜面とは異なり定量解析はほとんど不可能であつて、本件のごとき大規模な斜面崩落が発生することを事前に予測することは全く不可能であつた。
2 被告会社の責任
(一) 原告の主張
(1) 被告会社は、広く滋賀県全域にわたり本件工事と同種の工事を施工し、現場状況に即した適切な工事がいかなるものかの点について、専門的な知識や予見能力を有しており、かつ、本件工事が落石や斜面の崩壊に役立たず、しかも斜面の崩壊の危険性を増大させるものであつたのであるから、被告会社は、被告県に対し、本件事故現場における適切な工事方法について改善意見を具申して、安全を確保するに足る工事を施工するべき義務があるところ、これを怠り、被告県の指示する内容の工事をした過失がある。
(2) 被告会社は、本件工事をするにあたり、土砂の崩落を引き起こすことがないように注意すべきところ、本件工事を施工する際、リツパー等を用いて斜面の一部が切土したため、樹木の根を斜面の表面に近づけたり、露出させたりし、また、このときの振動が斜面を緩めることとなり、これにより本件事故現場の斜面の崩壊を早めたものであり、右切土をしたことが過失である。
(二) 被告会社の主張
(1) 被告会社は、河川の護岸工事、水路工事及び本件工事のような擁壁工事などの土木工事一般を請け負う業者であるが、落石防護工事を特に専門とするものではなく、現場状況に即した適切な工事がいかなるものかの点について、専門的な知識や予見能力を有しているわけではない。本件のような斜面の大規模な崩落という事態が発生するということについて予見不可能であつた。
また、被告会社は、被告県との間の請負契約に基づき、その債務の履行として、被告県の設計に基づきその指示どおり工事を施行したにすぎない。すなわち、被告会社は、施行すべき工事の規模、造るべき擁壁の構造、工事の位置、施行方法、使用材料、施行順序等、すべて被告県が決定した内容の工事を入札方式により受注したものであり、受注したとおりの工事を施工したものである。
本件工事は、公共工事であり、それを入札受注したにすぎないのであつて、被告会社が被告県に対して、受注した工事の内容の変更を求めることなどできない。
(2) 被告会社は、施工計画に基づき斜面尻部を掘削したにすぎない。しかも右掘削は、昭和六二年一〇月に完了していたものであり、それから約五か月後に起きた本件崩落との間に因果関係はない。
3 損害
原告の主張は、以下のとおりである。
(一) 逸失利益 一億一四三〇万五〇〇〇円
寛及び稔は、死亡当時、それぞれ三八歳、三五歳の健康な独身男子であり、死亡時より約一年半前から共同で建築現場で大工として工事を請け負つて働いていたものであり、死亡前の一年間の実収入は、合計一〇四五万七〇〇〇円であつた。寛と稔は、これを均等に分配して、各自の収入としていたものである。したがつて、新ホフマン係数を寛につき一七・六二九、稔につき一八・八〇九、生活費控除を四割として、逸失利益を計算すると、寛について五五三〇万二〇〇〇円、稔について五九〇〇万三〇〇〇円となる。
(二) 葬儀費用 合計 二五〇万円
(三) 破損車両代 一四三万円
(四) 大工道具等破損代 三七万五〇〇〇円
(五) 慰謝料 各人当り 二〇〇〇万円
第三争点に対する判断
一 争点1について
1 原告の主張は、要するに、<1>被告県は、本件事故現場においては、本件事故のような大規模な斜面の崩落に対応するための措置として、斜面中に存在した落石の危険のあつた浮石や転石を切土または小割りにして除去することによつて、斜面の安定化をはかり、右工事によつて変化した斜面をその後の雨水等によつて浸蝕がすすまぬようにコンクリート吹きつけや枠工を施し、浸透地下水がある場合には水抜穴を設け、さらに落石防護擁壁やネツトを設置することが必要不可欠であつたのに、第二、一、3記載のとおりの工事しか行わなかつた、<2>被告県は、本件工事を実施した後も、落石防護工の維持点検や工事そのものが斜面に与える影響、変化の状態などについて把握するための点検を行わなかつた、<3>被告県が本件事故の前年に施工した本件工事は、県道大津信楽線の運行の安全を確保できなかつたばかりか、むしろ斜面の裾部を約一五〇立方メートルの切土をしたことにより、本件崩落のような斜面の大規模崩落を発生させることとなつたということにより、県道大津信楽線の管理に瑕疵があつたとするものである。
<2>については、そのような点検をしていれば、いかなる回避措置がとれたという点についての具体的主張に欠けるけれども、その点はしばらく置くとして、<1>、<2>の主張は、いずれも、本件事故のような斜面の崩落が発生し、これにより約九〇ないし一〇〇立方メートルの土砂や岩石が道路に流出することが予見可能であつたことを前提とするものである。また、<3>も、いかなる回避措置をとるべきであるとするのか具体的主張がなく明らかではないが、本件事故現場が斜面崩落の危険がある場所であつたということを前提とするものであるから、切土を伴う本件落石防護工事をするべきではなかつたという主張ではなく、むしろ、本件のような斜面崩落に対応できるだけの工事をすべきであつたという<1>の主張と同じものと解され、やはり予見可能性の存在が前提となる。
2 そこで、まず予見可能性の有無について検討する。
(一) 甲第一〇号証、乙第一号証、第五号証及び証人河野伊一郎の証言によれば、現在の地質学、土質工学等の諸学の水準では、自然斜面においては、その斜面がある性質の地質からなる斜面であることが前提とされても、どの程度の誘因があれば、いつ、いかなる規模の斜面崩壊が発生するのかということを定量的に事前に予測することは、一般に困難とされていることが認められる。
また、甲第一〇号証、乙第一号証、第五号証及び証人河野伊一郎の証言によれば、本件崩壊を前提として、その原因として考えうるものは、本件事故現場の地質構成が、前記第一、一、2(二)のとおり、極めて複雑であつたことに加えて、<1>本件崩壊直前の気象条件、特に、本件事故現場付近における昭和六三年三月の月間降雨、特に同月二五日、二六日の降雨が本件事故現場における斜面中の花崗岩の亀裂やマサ土中に浸透し、亀裂に浸入した水は、その水圧によつて亀裂を押し広げるように作用し、マサ土中に浸透した土中水は、マサ土の自重を増大させ、さらにはせん断抵抗を低減させる等の作用を果たしたであろうこと、<2>同月二九日の強風により、斜面に成育していた樹木を揺さぶり、その樹木の根を通じて斜面に外圧を加えたであろうこと、<3>本件工事に伴う切土による斜面長の増大、あるいは、樹木の根の露出ないしは表面により近くなつたことによる斜面の安定に対して与えた影響、切土工事の際の振動が斜面を緩めたであろうこと等があるが、いずれも、事実として存在する本件崩壊の原因を事後的に推測したものにすぎず、また、現時点においても、<1>ないし<3>の事情が現に本件崩壊を発生させる方向に作用したのかどうかさえ明らかではないのであるから、本件崩壊の発生を事前に定量的に把握することは極めて困難ないし不可能であつたと認められる。
(二) 次に、甲第一〇号証(元和光大学教授の理学博士生越忠の意見書)によれば、本件崩壊の素因として、主に、本件事故現場の斜面が最も斜面崩壊を引き起こしやすいとされる花崗岩及びその風化によりできたマサ土から構成され、複雑な様相を呈して存在していたこと、しかも、その花崗岩は、割れ目の多く、また、著しく風化してマサ土になつている部分が極めて多いこと、特に、花崗岩の割れ目は、流れ盤の方向のものが顕著に発達していたこと、さらに、切土によつて斜面の形質が一層崩壊しやすいものに改変されたことが挙げられるとし、誘因としては、昭和六三年三月二五日及び二六日の降雨が挙げられ、三月二九日の強風も誘因の一部になつた可能性があるとしつつ、右誘因として考えられる降雨や風は、日本中のあらゆる地点でごく普通に観測されるもので、異常気象的な気象条件ではないにもかかわらず、本件崩壊が発生したことは、本件事故現場の斜面の状態が、右素因により本件のような斜面崩壊を引き起こすほどの劣悪な状態になつており、わずかな右誘因によつて本件崩壊が引き起こされたことを示唆するとし、さらに、本件事故現場の斜面は、かなりの長期間にわたつて大規模な斜面崩壊を引き起こした事実が知られていないこと等の諸事情を考慮すると、時期や規模の特定はできないにせよ、それほど遠くない将来、かなり大規模な斜面崩壊の発生を事前に予知することが十分に可能であつたと結論付けていることが認められる。
しかしながら、右意見書自体も、第一に、本件工事に伴う切土をした際、その振動等が斜面を緩め、崩壊を早めたことは結果として想像できるというにすぎなかつたり、切土をしたことによつてせん断抵抗が低減したという点については、その可能性が大きいというに止まり、いずれも想像ないし推測の域を出ないものであること、第二に、本件工事が本件崩落に対して影響があつたのかという点については、切土を伴う「本件工事の規模等が本件崩壊の直接の原因とはならないほど小さなものであつたことを示す証拠がない」ことを理由として、切土が直接の原因であつたかの如く判断し、さらに続けて、本件工事の本件崩落に対する影響が「仮に小さなものであつたとしても、局部的な崩壊が大規模な崩壊を招いたことも考えられる」として、本件工事の影響を過少視することは、著しく妥当性を欠くとしているが、右判断の仕方自体に疑問があるばかりか、右意見もやはり推測の域をでないこと、誘因として挙げる降雨や風の影響についても同様であり、結局、右のような推測を除くと、右意見書は、花崗岩や花崗岩が風化してできたマサ土から構成され、複雑な様相を呈して存在している斜面は、何時かは不明ではあるけれども将来崩壊するおそれがあるという程度の予測と等しいこととなり、本件崩壊を事前に予見することが可能であつたと認定するに足りる証拠として採用することはできない。
(三) 以上を総合すると、本件崩壊について、事前に予見することが可能であつたとは認められないというべきである。
なお、被告県は、<1>県道大津信楽線の本件事故現場とは異なる他の場所において、年間四ないし五回のごく小規模な落石があつたこと、<2>被告県は、本件事故現場が落石危険箇所として、災害防除工事必要箇所と決定したことを自陳するところであるが、右事情によつて、落石の危険性を予見することはできても、本件崩壊のような大規模な斜面の崩落を定性的にせよ予見することは可能であつたと認めることはできない。
二 争点2について
1 原告の主張(1)について
当該主張は、要するに、本件崩壊について予見可能性があつたということを前提に、本件事故現場の斜面において行うべき工事は、前記第一、二、1、(一)、(4)のとおりであるとし、請負契約の相手方である被告県に対して、契約の要素である工事内容について改善意見を具申して、改められた工事内容を行う旨の請負契約を締結したうえで、これを行うべきであつたが、これを怠り、被告県が求める工事を受注し、そのまま実施したことが過失であるというものであるが、争点1の判断の中で判示したとおり、予見可能性があつたとは認められないから、その前提を欠き、理由がないものと考えられる。
2 原告の主張(2)について
甲第一〇号証、乙第一号証、第五号証及び証人河野伊一郎の証言によれば、本件工事に伴う切土により、斜面長が増大したもののそれは小さく、斜面の勾配も元の斜面勾配より大きくなつておらず、力学的なバランスという点では、これらによる影響は、小さいことが認められ、また、切土の結果、樹木の根が露出したり、表面により近くなつたことにより斜面の安定に対して何らかの影響を与えたこと、切土工事の際の振動が斜面を緩めたであろうことをその原因として挙げることができるが、それは、事実として存在する本件崩壊の原因を事後的に推測したものにすぎず、本件崩落を生じさせる方向に作用したのかどうか、作用したとしてどの程度作用したのかは、全く不明であることが認められる。
してみると、本件工事、とりわけ切土を行つたことが、本件崩落と相当因果関係があるとは、認められない。
三 以上のとおりであるから、争点3について判断するまでもなく、原告の請求は理由がない。
(裁判官 河田貢 本多知成 片山憲一)